無条件の愛                   

自然界の源からは宇宙に向けて、「無条件の愛」が発せられています。私たち人間が無条件の愛を持つことは不可能であり、この愛に少しでも近づけるように、努力するしか方法がないのです。
ある男性の今日までの生活をとおして、愛とは何かを考えてみましょう。

彼は長男であり6歳の時に父親を亡くし、母親が3人の子供を育てていくことになったのです。当時は終戦直後でしたから、食料も余り無くお金で買うのではなく、物々交換で飢えをしのいでいたようです。

彼は小学生のときから欲しいものは我慢できずに、時たま他人の持ち物を自分のものにしたり、種々の悪いことをしたそうです。この悪い習性は長く続いていました。

このこと自体を素直に判断すれば「悪」ですが、この悪から目覚めた人間は、決して同じことを繰り返すことはしないのです。
むしろ人のために尽くすという、「善」の道を歩むようになっていくものであり、その過程を次に述べましょう。

彼は22歳の時に、今まで付き合っていた女性に暴力を振るったのです。
そして彼女と別れ、容姿にこだわらず性格の良い女性、自分に尽くしてくれる女性と結婚しようと決意したそうです。
そして彼は故郷を離れある都市の中小企業に就職し、その職場で知り合った女性と結婚の約束をして、すぐに彼女を残し大企業に転職していったのです。

彼が暴力を振るわなかったら、付き合っていた女性と分かれることができずに、間違った人生を歩むことになったでしょう。
ですから彼の暴力は単なる悪ではなく、正しい道を選ぶための善の行為だったのです。中小企業に就職したのは、自分に最も相応しい女性にめぐり合う機会を得るためであり、避けることのできない宿命だったのです。

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大企業に就職して半年後に彼女と結婚し、彼は自分が生まれ変わったことを自覚し、自分が自ら選んだ仕事に専念していったのです。
彼が仕事に夢中になるにつれ、妻や長女をないがしろにし、家庭内に不和が生じはじめました。しかし彼は何の反省もしないで、ひたすら自分の道を走り続けたのです。妻も仕方なく彼に付いていくことになり、性格のよい彼女は我慢をしながら、彼を支え続けたのです。

自分が好きで選んだ最初の仕事は、彼にとっては夢の世界であり、限界のない世界だったのでしょう。それに愚痴も言わないで支え続けた妻は、主人と娘に自分の全てを与えたのであり、深い愛があったのです。主人には認めてもらえない愛を捧げとおしたのです。

それから10年後に、彼はサラリーマンを止め独立開業しました。
彼の妻は自分が生まれた実家が商売をしており、その苦しみを知っていたので、自分はサラリーマンと結婚をしたかったそうです。
ですから主人の開業は、正に「青天の霹靂」だったようです。しかし彼女は、彼が一度決めたらやり通すことを知っていましたので、愚痴も言わずに彼女なりに決意を固めていったのです。

彼の妻は子供2人の面倒を見ながら、主人の仕事を手伝い、家事をこななさなければなりません。自分が嫌だった商売を手伝うことにも、反対せずに素直に従ったのは何故でしょうか。生活のためだから仕方なかったのか、愚痴を言っても主人が聞いてくれないためか、自分の宿命だと思ったからでしょうか。このどれもが当てはまっていたのでしょう。

それから25年後に、なぜか彼は恵まれていた事務所を閉め、別の仕事に切り替えたのです。180度の転換であり、妻は二度目の「青天の霹靂」を経験することになったのです。しかし妻はこのとき動揺しておらず、快く認めてくれたので感謝したそうです。
今まで経験をしたことのない仕事ですから、今後どのような展開が待っているのか、検討もつかないものでした。

それから約10年の歳月が経ちました。
彼は悪から善に目覚めたときに、容姿にこだわらず性格の良い女性、自分に尽くしてくれる女性と結婚したいと思っていました。
それが現実となり、妻といろんな問題があったでしょうが、苦労に耐えて、この人生を妻と協力して乗り切ろうとしているのです。

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彼は自我に目覚めたときから一切の欲望を捨て、仕事一筋で励むと同時に、人々のために役立つことが、自分の務めだと思っていたのです。
そして彼は、妻がいるから自分は生きていかれると真剣に思っており、なのに妻に優しい態度が取れないと嘆いていました。彼は残りの人生こそ私の人生だと、多くの人に愛を捧げる思いで一杯なのです。

結婚して子供が生まれた当時は、まだ給料が安く生活が楽でなく、妻から「主人は家族を扶養する義務がある」と重い言葉がでたのです。
この言葉は彼の心に深く突き刺さりました。彼は「仕事は精一杯しているこれ以上何をしろというのか」と返事をしたそうです。

その後彼は、基本給より残業代の方が上回るほど働き始めたのです。残業は毎日4時間以上そして休日出勤と、無休で働いたのです。これは独立開業してからも同様であり、家庭を顧みる余裕は残っていませんでした。

家族を守り助けるために、家庭をないがしろにしたが、彼は後悔していないと言う。もし彼が仕事に励まなかったら、家庭に何か良い変化が起こったであろうか。彼なりに精一杯努力したことが、家族に対する大きな愛であったと思えるのです。

 <話しは変わります>
私達が子供、孫たちに与える愛も、これは欲望のひとつです。
それは、仲良くしたい欲求、親切にしたい欲求、守り助けたい欲求、自由にしたい欲求、これらがあります。これは生物が生命を維持し、子孫を残すために必要な欲求なのです。本能だと言っても間違いではありません。

皆さんの意識の中には、この潜在的感情が秘められているのです。その中には欲望があります。その欲望の中の一種に本能があるのです。そして感情の中には愛もあります。
皆さんが自分の子供を愛するように、他人の子供や孫を同じように愛せたら、これは「無条件の愛」に近ずいたと言ってもよいでしょう。

また話は変わりますが、昔の話であり、これは野良猫の話です。
私の妻が、猫の鳴き声が玄関の外でするので、戸を開けてみますと、痩せ細った猫が座っていました。それは母猫であり、その前にはもう死んでしまった子猫が横たわっていました。

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そして、その鳴き方は、自分の子供を何とかしてくれという、哀れな声で鳴いていたそうです。ですから妻は、川原に猫を抱えて持っていき、穴を掘って埋めて帰ってきたそうです。
そうしましたら、その猫はまたあくる日に、同じように子猫を連れてきたのです。これもやはり死んでいました。また同じようにしたそうです。

そしたらまた次の日に、3匹目の子猫をやはりくわえて持ってきたそうです。だから母親がお乳がでないで、餓死していったんでしょうね。順次餓死していったんでしょう。子猫のなきがらを持ってきて人間に訴える。これには本当に感動しました。

それからしばらくして、また別な猫が玄関の外で鳴いていて、戸を開けてみますと、やはりこれも痩せて腹のペッチャンコになった猫が座っていたそうです。だから可愛そうに思って餌を出してあげると、猫は一時去っていき、そして今度は子供たちを連れて帰ってきたのです。

そしてその子猫たちが食べたあと、少し残った餌を食べて、家族で去っていったそうです。そしてその家族は二度と現れませんでした。
猫も動物ですが、人間よりも知性が低いのに、それだけの行動を取っているのです。人間と同じように愛があるということです。
むしろ人間よりも「無条件の愛」に近いのではないかと思いました。

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